レッドデセーオ ~So Long 嬢様


見てのとおり「栗毛食欲旺盛不真面目嬢様」ことレッドデセーオです。上は2011/4/3のデビュー戦@阪神、下は2013/3/9の結果的にはラストランとなった22戦目@中山。
さっきこの馬の戦績を見て気づいたのですが、この2つのレース、ともに「勝ち馬から1.7秒離された13着」なんですね。でもこの2枚の写真の間にはホントにいろんなことがありました。
時はデビュー戦からさらに1年さかのぼった2010/3のこと、そろそろ成績が下り坂になってきたY社に見切りをつけ始めたエクリプス氏(当時はそんなHNだったんですよ)は、新規加入クラブとしてグリーンと東サラに目をつけカタログを取り寄せました(この時なぜロードを見逃したのかは不明です)。
最終的に東サラ出資に絞り3頭ほど目をつけました。
2010.3.8
ちょっとお金に余裕がてきてきそうだったので。会費分の予算オーバーになるけど東京TCに手を出すことに。いつから募集してるかしらないけど相当たってるだろうし、最近の活躍もあるから、当然めぼしい馬は満口になっている。
そのなかからピックアップしたのが
♀レミニセントリー08(父タキオン) 35K 庄野
♂シャリマーガーデン08(父ネオユニ) 55K 藤澤和
♂タイキポーラ08(父ハーツ) 60K 松元茂
一番よく見えたのはタイキポーラ08。体で選ぶとやっぱハーツっ子になる(笑)。昨日半兄が新馬勝ちしたね。ただクラブHP見ると奥手との情報である。
シャリマーガーデン08。泣く子も黙るカズオ厩舎。去年私が軽視したネオユニ産駒だね。兄弟に活躍馬がいない分このお値段なのかな。でも私は本質的にカズオ先生嫌いだからなぁ(笑)。
レミニセントリー08。お手頃価格だし、今のところ社台系2頭を抱えてる私がほしい非社台系はこの馬だけ。ただ母が高齢(1992生)なのと馬格の割に管囲が細いのが気になるところ。タキオン産駒だけにね。
で、一つ気がついた。
あくまでこれは残り物なのであると。とすると人気の高いはずのハーツ産駒&藤澤厩舎予定の馬がここまで残ったというからには何か理由があるのだろう。タキオン産駒で一口35Kというのにもなんか理由があるのだろう(キャロのビワアラビアンでも同じこと言った覚えがありますし)。
と考えて、まあ今回は2009年度産募集のための権利取りのようなものでもあるし、一番リスクが少ない(=価格の安い)レミニセントリー08で申し込みします。ただHPでは満口直前とあるので、はじかれたらタイキポーラ08ですね(こっちは「受付中」、ただしここから申し込みが急増しそうだけど)。
結論から言いますとタイキポーラ08は競走馬になれず、シャリマーガーデン08は未勝利で終わりましたから、この選択は正解だったといえます(本当の正解は見逃したマイハート08だったということはどうか御内密に)。
でも、あくまでも「結果的には」でして、この嬢様は虚弱体質なのかヤスシ君の腕が悪かったのか知りませんが、秋頃から「入厩したと思ったらすぐ放牧」とまるでどっかのエで始まる馬のようなことを繰り返し、決して早いとはいえない出資時期から起算しても1年以上もたった、新馬戦も終わってしまった3歳の2011/4/3にようやくデビューとなったわけです。
当時震災のため東日本では競馬がなく、同日にキャロのオッキオディガットと2頭出しになりましたので初の阪神遠征で撮ったのが上の写真であります。結果は…聞かないよーに(って上に書いてあるか(苦笑))。
まあ「今回は既走馬相手のデビュー戦だから」と自分に言い聞かせ、水令木改なヤスシ君の言葉に悩まされつつ迎えた2戦目、オールザットジャズから0.4秒差の4着(この仔、結構すごい相手と戦ってるんですよ)。
「お、こりゃいけるかも」と期待して嬢様の不真面目ぶりと水令木改なヤスシ君の言葉に惑わされつつ迎えた3戦目…今度は12着の大敗(ちなみにこのレースが我が厩舎300戦目)。
すると何を思ったかヤスシ君は中1週で2400戦(注:芝のです)に使ってきます。このレース、それまで乗ってた小牧騎手はアーセナルゴールに乗るため(当然の選択ですね)、先日年貢を納めたほうのユーイチ君が乗って11着大敗。
ここでユーイチ曰く「ダートの方がいいんで内科医?」と。ヤスシ君も思うところがあったらしく、次走ダート戦&アンドチーク着用で臨みます。
このレース、川田君の馬との猛烈なたたき合いにわずかに負けて2着、でも初めて馬券の対象になったし、どうやら進むべき道が見えた気がしました。
次のレース、春から使いづめで来てるしここが勝負でしょう。相変わらず危機感の全然感じられないスタッフと不真面目な嬢様と水令木改なヤスシ君に苦労しつつ迎えた6戦目、前走と同じ条件でヤネは乗りなれた小牧で1番人気
…が小牧勝負の早仕掛けが裏目に出て5着に。
これは騎手が勝負にいった結果だから恨みはしませんよ。でもこれでレース数でのスーパー未勝利出走権が無くなったしここは一息入れて最後の勝負を!と思ってたら、ヤスシ君は続戦を選択…
以下惰性で3戦するも2着、3着、2着で終わり、ついに未勝利戦終了となってしまいました。ただこの3戦の勝ち馬がロイヤルインパクト、エーシンメンフィス、メーデイアですからね、運もなかった。さっきのオールザットジャズと合わせると重賞勝ち馬が3頭もいます(だからすごい相手と戦ってるって言ったでしょ)。
さて、未勝利戦が終了してしまい選択を迫られます。ダートに転じてからは勝てないまでも掲示板は外してない堅実さを買われたようで、クラブから再入厩前提の地方転厩が発表になり、名古屋の角田厩舎へ転厩となりました。
2011/11/7、期待と不安の入り混じった地方デビュー戦、笠松での出走となります。鞍上に名古屋の丸野騎手を迎えた嬢様はなんと1番人気の出走。レースはしつこく競りかけるベストドレッサーを競り落とし、逃げ切りで7馬身差の圧勝劇を演じます。
今までの「逃げては差され追っては届かず」が嘘のようなレースぶり、こりゃー連勝で帰ってこれるかもと思った嬢様の前にまたも難敵が登場します。当時名古屋で6連勝と無敵を誇ってた瀬戸口勉氏所有(言わずとしれたオグリキャップのトレーナーだった方です)のスウィングダンス。
決戦の時は11/28の射手座特別、難敵相手に真っ向からケンカを売った嬢様は最後走るのヤメちゃって3.4秒も離される大敗を喫します(世に言う「射手座の悪夢」)。ちなみに着順は別として、芝の時代を含め嬢様が一番勝ち馬から差をつけられたのがこの時でした。
馬の心も折れたようですがルクソール氏の心も折れました。馬の精神的なダメージも心配ですしこりゃーやばいかも…迎えた地方3戦目、通算12戦目が2011/12/20のシクラメン特別、年の瀬の土古に緑のシクラメンの花が咲きました(世に言う「シクラメンの歓喜」)。
これで地方2勝した嬢様はめでたく中央復帰が決まります。しかしながら9か月の間に12戦もしたツケは重く嬢様は長期の休みを余儀なくされます。問題の再入厩先ですが、すでにヤスシ君の能力に疑問符をつけていたルクソール氏は他厩舎への転厩を要望しましたが、残念ながら出戻ることになってしまいました。
結局中央復帰戦は2012/4/28まで遅れ京都のD1800戦になります。この日オレニホレルナヨとの2頭出しとなったルクソール氏は10何年ぶりの京都遠征を敢行、11度目の挑戦となる口取り権を持っての西下でした(ちなみにこの時にはオレホレの口取り権も持っての西下でしたのでホントに勝負かかりだったわけです)。さらに口取り請負人H様の加勢も受けてのレース。
レースは…このレースは小牧&嬢様のベストレースと言っていいかと思います。時計自体は遅く恵まれた感もありますが、ロケットスタートから絶妙のペース配分で、最後追ってくる宿敵シーズガレットを抑えこんでの勝利、それとともにルクソール氏悲願の口取り達成となりました(涙)。
上の写真、ヤスシ君(馬の陰に隠れています)は「お待たせしました」と一言、みんな「ここまで長かったなー」と言いあい、小牧騎手は無愛想(笑)、東サラのお姉さん(厩務員の横に並んでる人です)は段取り悪し(笑)と思い出の1枚です。
このあと1000万下に出るというプランもあったようですが大事を取って(?)降級、再度500万下のレース、一度勝ってるわけだからすぐに…と思うほど競馬は甘いものではなく再び悶絶の日々(笑)が続きます。
2→6→3→2→10
いつしか小牧騎手は解任され主戦は和田騎手になってました。なかなか勝てない日々に助手先生は坂路調教とか考えてくれていたようですが、ヤスシ君はまーーーーーったくやり方を変えようとしません。
2012/11/17 福島D1700 ヒカルドウキセイ中舘騎手騎乗で4着
2012/12/19 中京D1900 再び中舘騎手騎乗で3着
ここで中舘騎手より「右回りのもうちっと長い距離がいいんで内科医?」との進言。助手先生の言うことは聞かないヤスシ君でしたがジョッキーの進言はすぐ聞くようで、次走は短期放牧を挟んで2013/2/9、小倉のD2400戦となりました。鞍上は進言の責任を取って(?)中舘騎手、ルクソール氏は「小倉に行きたしと思へど小倉はあまりに遠し」でテレビ観戦となりました。
中舘騎手は2コーナーから追い通し、やっと差を詰めて、直線逃げるラインレグルスとの一騎打ちになりますがそこからなかなか差が詰まりません。どれだけ叫んだか覚えてませんが、ゴール寸前でやっとラインレグルスを交わして4勝目、これが一口あたり獲得賞金史上2位に躍り出る勝利となりました。
そして今度こそ1000万下のレース、ヤスシ君は中3週で中山のD2400を選択します。前走から見て相当にズブくなっているようだしD1800よりこちらの方が可能性はあるかもしれません。ただ中舘騎手は中京に行ってしまいましたので誰が乗るかが問題。
結局ヤスシ君の力かクラブの力かわかりませんがウチパクを抑えることに成功、状態もいいようで、言い訳のできない状態で、通算400戦目となる2013/3/9のレースを迎えます。
この日ヴィーヴォとの2頭出しとなったルクソール氏は2ヵ月ぶりの中山参戦です(どうでもいいですがこの馬が出るときはなぜか2頭出しが多かったですね)。
結果は逃げた馬をつつきにいったら自分の息が切れて大敗、ただレースのペースはそれほど速かったわけでもなく、正直このクラスでは厳しいかなとの印象を持ったレースでした。
レース後ヤスシ君はもう1度中山のD2400に使うと言明、そこに向けて調教を再開した矢先に骨折発生。この馬は牧場との約束で5歳12月で引退と決まってますので、骨折の程度によってはそのまま引退の可能性は高いと思いましたし、それもやむなしと思いました。
でも当初のクラブの発表では大したことないような感じでしたし、じゃあ秋に戻れるのかなと思い始めた矢先にクラブは「実はボルト2本も入れる手術だった」ことを白状。無論引退決定となりました。
全22戦で4勝2着5回3着3回…付言すると4着2回5着1回ですから掲示板を外したのは7回、2ケタ負けたのが5回ありますがうち3回は芝のレースでのもの、勝ちきれない馬でしたが大崩れもせず堅実に走ってくれました。ルクソール氏が常日頃この仔を「不真面目嬢様」と呼んでたことはこのブログを見てらした方なら知ってると思いますが、最近のコメントを見ると不真面目さもずいぶん影を潜めてたようです。ただ真面目に走るようになった分、恐怖のタキオンタイマーの作動を早める結果になったのかもしれません。
でも、結果的にはフィックルベリーより早い引退となりましたが、彼女の時のような「やり残した感」はまったくありません。脚の手術をしたわけですから繁殖は来年からと言うことになると思いますが、今はただ「お疲れ様でした」と。そして「いい子を産んでいつまでも元気で」と。
一つ心残りなのは…東サラは下河辺牧場との縁を切ったらしいので(11年産に下河辺牧場の馬がいない)、子供に出資できなさそうということですね。でも、どの馬主の元で走るのかわかりませんが応援しますからね。
そうそう、ヤスシ君。私はあなたの腕は信用してないし(この仔の勝利は角田先生と小牧騎手と中舘騎手と助手先生のおかげと思ってますから)、今後あなたの馬に出資することもないだろうと思いますが、長い間この子の面倒を見てくれたことについてはお礼を言っておきましょうか。それと最後に骨折したのはあなたのせいではないと思ってますのでそれも責めません(世には責めてる輩も多いんですけどね)。
最後に1つ問題、「関東在住のルクソール氏が関西馬であるこの馬の最初と最後のレースに立ち会った」だけでなく、ほかにこの記事読んで気がついたことありますかね? つくづくこの馬は記録と縁があるようです。
| クラブ馬主・その他 | 17:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑