レイズアスピリット ~こうとしか生きようのない馬生がある
で、今日はレイズ君の思い出話…長い間いた馬だから話も長くなります。ご承知おきを。
私が初めてレイズ君に会ったのは記録によると2012/9/8、ツアーの時でした。

この時の記事は以下の通り
さっきの馬の隣にいたのがこの馬、L氏ゆかりの馬ですね。
この前に周回展示がありまして「確かにこの母の産駒では一番よさそうだけど何しろ上が全く走ってないからなー」とパスを考えてたL氏の耳に飛び込んできたのが「母の子で初めての牡馬ですが最後の産駒」のフレーズ。
ん? レイザーってこの子が4番子のはずだからまだ若いだろ? FFみたいにドナドナされたんか?
実はこの馬については担当のお姉さんではなくずーっとこの子に張り付いてたキャロのスタッフに聞きました。
L「さっきレイザー最後の産駒って言ってましたけど売っちゃったんですか?」
キ「いえ、死んじゃったんですよ。」
L「あらら、まだ若いのにねー。確かに上と比べると一番よいとは思うんですがなにしろ上が全く走ってないですからね。カクテルなんか地方行ってから勝ちだして、もうちょっと早く勝ってほしかったなー。」
キ「ええ、だからこの値段なんです。それでも素通りされるのが悔しくてね。」
L[具体的に上とはどこが違うんですか?」
キ「まず背中、上は疲れが出やすい背中してたんですが、この子は違います。」
L[ああそういえばカクテルも背中がどうのとか言われてましたね。」
キ「で、この成長ぶりです。カタログは6月下旬に撮ってるんでが、肩とかトモのあたりの発達がすごいんですよ。触ってみればわかりますが。」
L「血統もいいですよね、ここ(キングヘイローとミラクルレイザー)消してヨーロッパ持っていったら売れるんじゃないですか。ダンシングブレーヴにエルコンですからね。」
キ「名前隠して持ってったら売れますよ。どこまで活躍するかは言えませんがこれと(ヒミツ)は絶対損はさせませんよ。」
当時はツアーも2回目くらいでキャロのスタッフも全然しらなかったので「キャロスタッフ」と書いてますが、これが営業部長のN島氏だったというのは以前書いた通り。部長様がなみいるコーガクバではなく牡馬で1600万円と最低価格ともいえるこの馬に張り付いてたのですね。この時点ですぐ上の姉(ミラクルルージュ)はデビューしておらずさらに上の2頭の姉(ミラクルカクテル、プローディギウム)は未勝利…血統はよくても成績が伴わないこの馬はパスのつもりでしたが「損はさせない」という熱意に負けて出資しました。
ちなみに文中にある血統ですがこのとおり

血統表のなかにダンシングブレーヴ、Kingmambo、SS様が出てくる、こんな血統そうそういません。父母のグッバイヘイローも活躍馬ですしね。
さて時は流れてデビュー戦、レイズアスピリットと言う名前になった同馬は「晩成」と言う予想を覆し2歳夏の新潟でデビューしました。
このレース、レイズ君は5着でしたが、わが軍団史上初の不祥事が発生します。
(氏名停止)騎手(44)が新潟5Rでレイズアスピリット(5着)に騎乗した際、最後の直線で急に外側に斜行して、ツクバアスリートの進路が狭くなった。このことについて7日から15日まで9日間(開催日4日間)の騎乗停止となった。
ハイ、騎乗停止処分でございます。もっとも馬もやはりまだまだのようでした。
年が明けて3戦目、元気を背に出走したレイズ君は意表を突く逃げの手に、気分良く走らせたのがよかったのかそのまま逃げ切って待望の勝ち上がりを決めました。今なら中京に行ってたと思うのですが当時は東京にいましたから行ってないどころか当時の記事によれば「歯医者に行っててレースも見ていない」だそうです(笑)。
次のレースは3月の大寒桜賞、前走と同じ条件でカトゥーラ氏は2番せんじをねらって逃げましたが大敗、このレース以降レイズ君が逃げることはありませんでした。
この後2400m前後の距離で差しの競馬に徹して成績を上げてきたレイズ君、2勝目は秋の福島でした。勝った時の鞍上元気を迎えて2600m戦、3コーナーまくりから押し切っての完勝、ここからしばらく元気騎乗となります。ちなみにこのレースで獲得賞金は1600万円を越え、「損はさせない」と言ったN島氏の公約を達成することができました。
続くレースは有馬記念の日のごきげんようH(仮名)、有馬の混雑具合に恐れをなした総帥はTV観戦でしたがここで勝って3歳にして準オープン入りを果たします。
躍進が期待された4歳でしたがこの年は5戦して4→6→6→4→4とそれなりには走ってはいるのですがイマイチ勝ちきれません。
明けてて5歳初戦、誰の指示かはわかりませんが元気が降ろされて、Fake ベリー(何か違います?)騎乗で迎えた1000万下戦、これが史上に残るレースに。

大して速いペースでないのにご覧のような展開、レイズ君は上り2番目の脚で差してきますが雨とは1.8秒差、どんだけ後ろにいたんだ? と小一時間…
この後再び掲示板近辺の着順が続き迎えた九十九里浜特別

この日この馬の口取りは外れてたのですが中山競馬場へ、直線外から強襲、私のいたところからは負けたように見えたんですがちょっとだけ出たところがゴールでした。これで再度の準オープン入り。
この次が有馬の2日前に行われたグレイスフルS、カフジの2着と力のあるところをみせオープン入りも夢ではないと思ったのですが…
ここから後の惨状はご承知の通り。
10Aの仕上げミスとか10Aの仕上げミスとか10Aの仕上げミスとかありまして得意の中山どころか春競馬をスルー、年度初出走はなんと6月になってました。
ここを8着としたあと、6か月も休んだんだから続けと使うかと思いきやきっちり夏休み、にもかかわらず「仕上がらず…」でまたも中山はパスして京都へ、ですがここも見せ場なく大敗します。休んでたんだから続戦しろーとの声も届かずまた休養、次のレースが12月のグレイスフルS…つまりこの年3走しかしていないわけです(呆)(それもグレイスフルSでさえ仕上がらずにパスしかかってたんですからね)。で、そのグレイスフルS、このところの競馬の内容が悪いところから進退がかると思ってた1戦でしたが結果6着、でも「らしさは見せてくれましたよね。この舞台でも何もできないようだとそろそろマズいかと思いましたが、これならばという気持ちです。」(byウエハラ師)ということでついに7歳突入します。
結果3戦するも見所なく大敗しついにJRA競走登録抹消となってしまいました。
2歳でデビューして7歳まで足掛け6年間の在籍、私の所有馬のなかでは2歳デビューで8歳まで走ったヴィーヴォに次ぐ長さとなりました。その間1600万円で募集された馬がその4倍近い賞金を稼ぎオープンまであと一歩と言うところまで来たのですからよくやったというべきでしょう。
惜しむらくは…もうちょっと10Aがなんとかしてくれてれば、上原先生が型にはまらない考え方をしてくれていれば…もっと上に行けてたのかもと思うところと、ついにこの馬で口取りがかなわなかった…というところ、人気のある馬でしたからねえ。
この後どこで走るのかわかりませんが、母ミラクルレイザーの忘れ形見、長い間お疲れ様でした。

最後に撮ったレイズ君の写真です。
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