エルマンボ ~マンボはなんてすばらしい
私がこの馬を初めてみたのは2011のキャロツアーのときでした。

募集番号が若かったこの馬は一行が牧場に着いた時にはすでに周回してたのですが、一目見たとき「この馬何?」となったんですね。あまりにこの馬の印象が強すぎてすぐ後ろにいたホワイトフリートを覚えてないくらいです(笑)。
ウォー様の子は欲しかったからカタログでチェックはしてたのですが、ミスプロの3×3を気になってたのと大きそうなので大丈夫かなーと。結局「ナントカ大丈夫」という状況だったわけですが(笑)
とりあえず最優先で申し込んで出資が決まって、馬名応募

※左の2枚は気にしないでください。
見ての通り命名者になることができました(ほかにも何名かいらしたようですが)
2歳秋に入厩してゲート試験受かって放牧…ここまでは順調でしたがここから早くも戦いが始まリます。
11/7 堀厩舎
7日に美浦トレセンへ帰厩しました。
11/22 堀厩舎
21日、22日は軽めの調整を行いました。「少しずつ負荷をかけていって動ける状態を作っていこうとしていて今朝も追い切りを行う予定にしていたのですが、馬体をチェックしたところ左ひざの上っ面、腕の部分の筋肉につながる筋の部分が痛いようで気にする素振りを見せています。
2/7 堀厩舎
7日に美浦トレセンへ帰厩しました。
2/27 堀厩舎
27日は軽めの調整を行いました。「歩様が相変わらず良くないので経過を観察してきましたが大きな変化がないままだったんです。それなのでいつも出すようにしている週末の時計も控えて週明けまで様子を見ていました。それでも変化がなく原因を探るためにレントゲンを撮ってみたところ膝に骨膜が張っていてそれが少し尖っているような形をしていました。
というように懸念していた体質の弱さが出たのか厩舎としがらきを行ったり来たり、そしてこの更新を見たときいったんはダメだと思いました。
3/5 NFしがらき
軽めの調整を行っています。「こちらに到着後、軽く動かしながら歩様の悪さの原因を調べています。右肩の奥に痛みがあって、左に影響が出ているようにも思いますが、いろいろと検査をしてもはっきりした原因は特定できない状況です。ある程度休ませることも必要でしょうし、ウォーキングマシン程度の運動に留めて良化を促していきます」(NFしがらき担当者)
この時の心境をL氏は一言
ドモナラズ(>_<)
と表現しております。この後も
口を開けばグッチ裕三になりますので自粛。(3/12)
エで始まる2頭(計16万3千5百円)につきましてはすでに枯淡の境地に…。(3/17)
と暗い表現が続いています(ちなみにエで始まるもう1頭はエンジェリックレイです。)
そんななかナントカデビューだけでも…と懸命の調整が続きようやくデビューにこぎつけたのがもうダービーどころかラジオ日経賞すら終わった後の7/20福島でした。

これが競馬場で初めて見たエルマンボ、ここから4年にわたる長い旅が始まります(そういえばラストランも7月3週目なのでちょうど4年だったんですね)。ちなみにこの小柄な厩務員さんは終生一緒でした。
既走馬相手のデビュー戦という厳しい条件で勝ち馬には離されたものの2着、もう残り時間は少ないですがこれはいけるかもと思える好走でした。
続く2戦目は8/11の新潟。当然ここは1.4倍のアットー的人気です。私も新潟まで行きましたよ。

結果、エルマンボらしい(?)苦戦でしたがナントカ勝利、ちなみに当時のリポートでも「暑さの影響がでている」と言ってたんですね。

口取り。MD様、元気かなー。
この後ご褒美の休みが入って復帰戦は11月、ここからムーアで3→2として3戦目

1.2倍のアットー的一番人気に応えて、ここはエルマンボらしからぬ(?)圧勝でした。ちなみにこの舞台はエルマンボ向きとは思えない中山D1800…やっぱりライアンってすげーんだなあ。
以降出資者間ではライアン待望論が根強かったのですが、意外なことにこの馬にライアンが乗ったのはこの3回だけしかありません。なぜかライアンが来る時期に調子落としてたからなあ。
で、この馬には珍しく3戦続けて使ったからまたお休み、復帰は4月でしたがここから2戦して勝ちきれず、6月に500万下に落ちてしまいます。

さすがに500万下では力が違います…と言いたいところですが脩サマによれば遊びながら走っててやはりこの馬らしい(苦笑)0.1秒差の勝利。
ちなみにこの後の堀先生のコメント
「申し訳ありませんでした。」
500万下に落としてしまったことなんですが、勝って謝るのは前代未聞ですな(笑)。
で、ここでも3戦したのでまたお休み、戻ってきたのは11月、ここ2着で12月中山のD2400戦

さすがにこれくらい距離があると小回りの中山でも力出しますね。これで準オープン入りでした。ヤネは脩サマ、この馬5勝してますが2勝を挙げたのはこの脩サマしかいません。
ここまでは10戦して1回4着があるだけであとは3着以内、勝ちきれない面はあるがどこまでやれるか…とみてたのですがね。
準オープンで3戦して4→3→2。ちなみに、この馬はここまで面白い傾向があってここまでの13戦の着順を並べるtと
2→1→3→2→1→4→3→1→2→1→4→3→2
昇級戦では順位を落としますがそのあと少しずつ順位を上げていって最後に勝利…こんな繰り返しだったんですね。
で、準オープンで4→3→2ときましたから次は勝つ番…なんですがなぜか堀師は小倉行を命じます。「暑さ」「小回り」「距離不足」の3重苦でついに法則が崩れ5着、よればいいのに小倉で連続出走して6着とついに掲示板を外します。
一体なんで「小倉」と思ったんでしょうかねえ ナゾ
で夏場の無理がたたってまたまた休養、今度の復帰戦は12月でした。そこから3戦しますが勝てず…準オープンでは厳しいのかなと思ってましたが…

真ベリーを背にオークスの日に丹沢Sを制します。
余談ですがこの馬、準オープンにして初めて特別勝ちでした。これで「主な勝鞍:丹沢S」と書けます(笑)。
6歳にして待望のオープン入り…ですが堀師によるとこの後あたりから右トモの状況が深刻になってきてたようです。

2016のキャロツアーでエルマンボと再会、一番最初の写真と比べるとやはり老いを感じますね。
この後ブラジルC、暮れのベテルギウスSと走りますが厳しい成績に、正直力的なのもあると思いますが体調も万全ではないようで、1月からまたまたまたながーーーーい休みに入ってしまいます。
今年初戦が7月の名鉄杯、ここを8着としてさあこれからと思ってたのですが…突然の引退発表、長い競走馬生活に突然ピリオドが打たれました。
トータル22戦5勝、最後の方は成績が落ちてますがそれでも賞金のもらえない9着以下になったのはブラジルCの時だけという一応は馬主孝行の馬だったようです。
そして堀先生、正直に言いますとこの先生への評価は半々です。
体質の弱いエルマンボを何とかデビューさせて準オープンまでもっていったことはこの先生の力だと思いますが、そこから先の展開はもうちょっと工夫できなかったかなーと。中央では冷遇されているダート長距離馬なのに、この先生、交流戦はOut
Of 眼中で、レース選択の範囲を狭くしてましたからね。
半分だけありがとうございましたと言いましょうか(笑)
この後ですが…どうなるんでしょうかね? 先週の木曜日に引退発表があって1週間たつのにまだキャロから書面が来ません。「親身なアドバイスで仕事が早い」キャロにしては珍しいことだと思います。サラブレッドオークションには出てませんので地方に行くことはないようですが…行先探しに難航してるのかな。なんとかいい余生を送ってもらえればと思います。
馬名の由来となった「エルマンボ」は邦題でして正式には「ケ リコ エル マンボ」というのですが、その意味は「マンボはなんてすばらしい」、この言葉を彼に送りたいと思います。そして長い間お疲れさまでした。
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